R.I.P.ジェフ・ハンネマン&ヒマメタラーの自己満

お盆休み、いかがお過ごしでしょうか。

連休中につき、仕事ではなく趣味の話を。

興味の無い方には、何だかわからない音楽の話ですが、スイマセン。
あらかじめ、お詫びしておきます。
m(__)m

まずは、お盆期間とゆう事で哀悼の意を表しまして。

ボクが昔から愛して止まないメタルバンド、
スラッシュメタルの帝王、
「スレイヤー」のギタリスト、

“ジェフ・ハンネマン”

今年5月、永眠しました。

突然の訃報には大ショック!
残念で残念で…(泣)

数々の名曲を書いてきたソングライターが亡くなり、バンドはこれからどうなってしまうのか……

心配です((T_T))

過去に来日した際には、何度かライブにも足を運びました。

その中でも、
1998,10,3
横浜ベイホール

修羅場と化したピットの最前列まで突入して、命がけでゲットしたピック。

左から、
ジェフ・ハンネマン
トム・アラヤ
ケリー・キング

3枚とも弾いたアトが残っている、本人使用のピックです。

3枚揃ってるのは、かなり貴重です。
マニア垂涎のお宝です。

あとは当時のドラマー、
ポール・ボスタフのドラムスティックがあればコンプリートだったのですが。

メタル専門誌、
‘BURRN!’
1999,1月号
ライブレポート記事中の写真には、最前列のボクがバッチリ写っています。

もう一度、あの勇姿をライブで観たかった…

早すぎる死、本当に悔やまれます。

偉大なるギタリストのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

BURRN!誌には、その数年後にもう一度、
2007,3月号

亀和田武さんのコラム欄
「TV WAR」にて、
ボクが出演した

2007,1,5放送
NHK総合
「にんげんドキュメント
“空師”大樹と生きる仕事人」

この番組が話題に取り上げてられて、大絶賛の記事を書いて頂きました。

写真と活字の両方、
趣味と仕事の両方で、愛読誌に掲載されまして、この上なく光栄でありました。

掲載号の2誌共、ナゼか表紙を飾るのはKISSのメンバー。
ボクとBURRN!とKISS、ここには一体ナニが…?
(笑)

2~3ヵ月に1回、
メタル好きの仲間で集まって、
メタルカラオケやってます。

大音量にしてメタル曲のみを大熱唱します。
めちゃめちゃ楽しいのですが、翌日は声ガレと筋肉痛に苦しみます。

ありがたい事に、最近のカラオケはメタル曲が一気に増えました。
もっとマニアックな曲も増えてくれれば嬉しいのですが。
長尺の曲でもノーカットの完コピが必須ですな。

メタカラファン一同、カラオケメーカーさんには期待を膨らませております。

左、
S.O.Dのベーシスト、
ダン・リルカの使用ピック。
右、
パンテラのベーシスト、
レックスの使用ピック。

これらも修羅場と化した最前列に突入してゲットしたお宝です。

S.O.Dの2ndビデオには、最前列のボクが映っております。

パンテラのダイムバック・ダレルのピックも欲しかった~(~Q~;)
ボクの方には投げてくれませんでした(;_;)

パンテラのレックスが、紙コップにピックを入れて投げた瞬間、空中で散らばる前にジャンプして両手でブロック、大量にキャッチしました。

オズフェスト2000
パンテラのピック

絶妙なタイミングで高さのあるジャンプ、ブロックからのキャッチ。
バレーボールやってて良かったです(笑)

もっと沢山ありましたが、友人にあげたりして今はこれだけ。
もうあげません(-.☆)

去年2月、メタルゴッド
ジューダス・プリースト
ラストワールドツアー

メンバーの高齢化により、最後のワールドツアー。

しっかり目に焼き付けました。
あまりのカッコ良さに感動、ライブで観るのも最後かと思うと泣けてきました。

鋼鉄神も寄る年波には勝てないのか…。

ファンとしてはあまり無理せず、末永くメタルゴッドとして、その座に君臨していてもらいたいものです。

たまには日本に来て、ゆっくりと温泉で湯治、按摩と針治療で療養してってくれればなぁ……

………

ロッカーの生き様に反しますな(笑)

長々とすいませんm(__)m

連休、出掛ける予定もなくヒマなので、ついつい…。

ではまた、連休明けからお仕事頑張りましょう!

猛暑日続行中、季節外れの話。

2013/ 8/ 8 12:09

熊倉です。

毎日、猛烈にクソ暑いので、まだ寒かった時期の話でも。

今年、桜の花が咲く前の、冬の終わり。

地元さいたま市内の幼稚園の敷地内、桜の木。

長年に渡り、春になると満開の花を咲かせ、子供達を出迎え見守ってきた桜。

建物と道路の間の狭い場所で大きくなり、幹が建物に密接して壁や塀を壊し、枯れ枝が通学路の道路に落下する等の被害。
このまま放置できない木となってしまったので、伐採する事となりました。

作業当日の朝、幼稚園に到着すると、幹の周りにピンク色の画用紙のような紙がペタペタ貼り付けてありました。

「なんだ??」

そう思って近づいてみると、

お礼やお別れの言葉が綴られていました。

桜の木が伐採される事を知った園児達が、手紙を書いて貼り付けていたのです。
冷たい風が吹き付ける寒さの中、ポッと心が暖まりました。

しかし、まだ4~5才の子供達ですから、お別れの言葉を書く事自体が初体験だった子もいるはず…。

「なんかゴメンね(ToT)」

そんな思いに駈られながら、伐採作業に取りかかりました(;o;)

幼稚園の子供達、先生方、近隣の方々が見守るなか、無事に作業終了。

理事長先生のご希望で、根元の輪切り板を一枚とりました。

カタチは変わりましたが、今後も座卓や花台等の木工品として、子供達にずっと愛され続けてゆく事を願います。

また園内に種から植えていただき、大きな木を育ててあげてくださいm(__)m

長野県諏訪産ケヤキ、第二の人生、第一歩

熊倉、連投です。

長野県諏訪産、樹齢400年超のケヤキ。
昨年10月に伐採搬出、埼玉県の原木市場に出品されていました。

元口と末口、両側に割れが数ヵ所出ましたが、
木柄、目詰まりは極上の木です。

競りで希望金額に達せず、落札されずに元落ち(不落)の状態でした。

昨年11月、大阪に遠征に行った時からご縁があり、お付き合いさせていただいております、
岸和田だんじり祭りの
地車(だんじり)製作、

“板谷工務店”

今年1月中旬、棟梁の板谷さんが栃木県の宇都宮にいらっしゃる、との連絡を受けました。

「この機会に諏訪のケヤキを見てもらおう!」

とゆう訳で、当社スタッフ総動員(3人)で埼玉から宇都宮までお迎えに。

板谷さんと合流、せっかくなので宇都宮の餃子を食べて満腹に。

すぐに埼玉にとんぼ返り。

原木市場に到着。
板谷棟梁、早々と例のケヤキが目に付いたようで、そばに寄ってグル~ッと状態を熟視されるなり、

「エエ木やなぁ…
ナンボですか?」

「え~と…
◎△□☆○◇▽円です」

「………、
ほな、明日振込みます」 

………。

お互いの希望金額にて、
ほぼ即決でしたm(__)m

さすが大阪の商人(あきんど)!
お目が高く、気前が良い!

当社所有の木ではありませんが、関わる人々の大変な苦労があり、やっとの思いで伐り出した木。

木の良さはもちろんですが、我々の仕事が高く評価された様な、とても嬉しい気持ちになりました。

良縁に感謝致します。

ありがとうございましたm(__)m

夕食の席もとても楽しかったです。
またご一緒させて頂きたく、よろしくお願い申し上げます。

大阪に嫁いだこのケヤキ、
早速、お目利きのお客様に気に入られたそうで、芸術作品に生まれ変わります。

製作に取り掛かる前には
「原木祭」
とゆう、お祝いの祭事があります。

我々も参加する予定です。
また大阪に行ける、その日がとても楽しみです。

また報告します(-.☆)