「巨木、縁結ぶ。西へ。」

第57回 全国銘木展示大会

1年に1度の大イベント、今年は

岐阜県銘木協同組合
にて開催されました。

原木や製品、全国各地から至高の銘木が集結します。

ここに来ると、いつもその銘木達の凄さに圧倒されます。
自然が作りだした宝石ならぬ、言うなれば宝木。

イイ木を見ると、
「オレなんて、あなた方にはまだまだ遠く及びません。もっと修行します」

謙虚な気持ちになり、自分の未熟さに気付かされたりします。

今まで長い間、
地中に根っこを張り、
大空に葉っぱを広げ、
植物として生きていた木。

これからは、木材製品として永久的に生き続けます。

屋内の製品

2013/12/28 7:51

屋外土場の原木

写真はホンのごく一部です。

市売は丸々2日間、
1日目、製品
2日目、原木

前回記事の埼玉県産ケヤキ原木も出品されています。

メインエリアの事務所前、クレーン下に配列。
順番は2日目のラストの方です。

前日から下見に来ている大勢の方々も、このケヤキの前では立ち止まり、
ジ~ッと熟視されておりました。

「イイ木でしょう~
よ~く見てってください~(心の声)」

お客様の方々、木の目利きと知識はプロ中のプロです。

どう評価されているのだろうか…

………

2日目の夕方、ついにその順番が来ました。

競り開始!
威勢良い掛け声で、
競り出しの単価が読まれはじめました。

さあどうだ!、いざ勝負!

…………

……

…あっとゆう間でした。

コンコンコーン!
と競り上がり、

この日のケヤキ部門の競りでの、最高単価で落札!

上山さんと両拳をガッチリ突き合わせ、なるべく静かに喜びました。

我々の仕事への高い評価だと思い、とても嬉しく誇らしい気持ちになりました。

これぞ林業の醍醐味です。(-.☆)

現場関係者で記念撮影

冷静と情熱の間、
歓喜と安堵の間、
といった表情です。
(って事は普通(笑))

出品、販売でご尽力くださいました、
名古屋市の(株)カジウラ、小島さん
(中央)

伐採・搬出の依頼主、
上山木材、上山さん
(左)

落札したのは、関西の老舗材木屋さんです。

きっと極上の製品へと生まれ変わるのでしょう。

出来上がった製品、どこのどんな材に使われるのか、最後まで追いかけて見てみたいものです。

しかし、そこには踏み込めない、言わば秘密の領域。

独自で築き上げてきた商売、その内容は誰も明かしません。

一本一本違う、様々な特徴がある木々を、
色々な思惑を秘めた人々が鎬を削り、その木を射止め扱う。

千年以上も続く、世界中で随一とされる、日本の木の文化。

その木を見抜く目利きと、その木を扱う技術の進歩によって、連綿と受け継がれてきたもの。

木は一生勉強。

その底なしの深さがこの業界、日本の木の世界の面白いところです。

やめられません(笑)

今年も残すところ、
あと僅か。

ボクの体力ゲージ、
あと僅か。
(笑)

年内は晦日まで作業、お正月休みまで、頑張って乗り切ります(拳)

皆様、良いお年をお迎えくださいm(__)m

プロを唸らせる木

第55回「全国銘木展示大会」会場・岐阜銘協にて 2011.11.16

初めまして、フリーライターの山口と申します。

熊倉さんとは、かれこれ6年のおつきあいになります。

当時、初めて書いた記事がこれです。↓

 人と樹木の共生を支える、知られざる職人・空師(そらし) 2005/11/16

http://janjan.voicejapan.org/living/0511/0511145128/1.php

いま読むと、伐採についての理解が浅く稚拙な文章なのですが、記事の日付けを見てちょっと驚きました。

2005年11月16日とあります。

じつはこの日からちょうど6年目となる先日、私は熊さん・大前さんと岐阜の全国銘木展示大会に来ていました。

以前から大きなセリがあれば見に行きたいと思っていたのが叶い、同行したのです。

熊倉林業が出品したケヤキ丸太は、「中部森林管理局長賞」を受賞したと聞かされていました。

そしてこの日、予想外の大会最高単価で競り落とされたのです。

会場には銘木をもとめて全国から人が集まるわけですが、この木はとにかく見る人見る人みんなに褒められていました。

いずれも劣らぬ銘木ばかり。最初はどの木もそうかと思いきや、どうもそうではないことにしばらくして気づきました。

プロを唸らせる木---熊さんいわく開業10年にしての快挙とのこと。

記念すべき日に立ち会えたのは幸運でした。

そして、その日が最初の記事からちょうど6年目だったという巡りあわせに不思議な縁を感じます。

これは、かの木の伐採前の立ち姿です。

ケヤキの語源は「けやけき木」、つまり「他とは違って際立ってすばらしい木」という意味だとの説があります。

多くの目利きたちが市売のこのケヤキの前で足を止め、撫でたり擦ったり談笑したりしている光景を見ていると、そんな俗説も素直に信じられるのでした。

私は木についてはまったくの素人です。

知識は本で読むか伝聞ばかりでほんとうの自然のことはわかりません。

6年前に記事を書いたとき、じつは空師の仕事が何なのかもまるっきりわかりませんでした。

話を聞いて作業のことを理解したつもりでも実感が湧かないのです。

ですから、現場作業を少し見てあとは想像で補って書くしかなかったのです。

おかげさまで、あのときに比べれば多少は知見が増えたかもしれません。

しかし、かの銘木の年輪になぞらえて言うと、6年とはわずか1ミリか2ミリの成長に過ぎないでしょう。

りっぱな木を前にすると、「自分はまだまだだな」と謙虚になれます。

拙速に知識を身につけて変に曲がってしまうより、「ぼちぼちやろう」と開き直りもするのです。

なにも語らない木は、ときに雄弁な人生の先達として示唆を与えてくれる気がします。

なにも知らないよそ者を、そんな世界にいざなってくれた熊さんに、6年目にして感謝するしだいなのです。